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設立10年を迎えました。
2018年4月7日にセブにて記念行事を行いました。多くのEMS会員のみなさまが日本から参加していただき本当に感謝しています。イベントの様子はFACEBOOKから御覧いただけます。10週年のビデオはこちらから。
私たちは、2008年9月に、前理事長(現副理事長)山岸の住む長野県でNPO法人として、登録しました。
今年、法人設立10周年を迎えます。2003年4月に、サントニーニョ教会前で、山岸が活動を始め、その後、偶然出った普通の駐在員妻3人が始めたささやかな活動が、今は会員数100名に迫るNPO法人として10周年をむかえることができるなど、当時は思いもよりませんでした。
活動開始当時は教会前で、物乞いをする幼児、少し大きくなるとろうそくを売らされる子どもが、そこここにいました。みんな、半裸だったり汚れた服を着ていました。親や祖父母も学校を出ずに同じようにして育ってきたために、私たちが学校に行くことの大切さや将来のことを考えて今何をしなければならないのかを話しても、今日の食べ物のために、物売りをさせることをやめませんでした。
当時は人を集めて何かしようと思えば、必ず食べ物を用意しなければ人が集まらないという状況でした。おなか一杯おいしいものを食べて、お風呂に入り、温かい布団で寝るという暮らしをなんの疑いもなく送ってきた私には、まだ幼稚園程度の年齢の子どもが自分の食べるものを自分で何とかしなければならないという状況は、あまりにも現実離れしていました。
何とか親を説得して、せっかく学校に入っても、「先生が意地悪だから、やめる」と簡単に中退してしまう子が後を絶ちませんでした。そして女の子たちは10代半ばで早々にママになっていきました。そんな中でもスポンサーさんや、現地スタッフ、日本人理事の温かい励ましやバイブルシェアリングのおかげで少しずつ将来のことのことを考え始める親子が出てきました。今、10代半ばでママになった子どもたちの子どもが、私たちの奨学生として学校に行っています。
ママたちは子どもに物乞いをさせることはありません。まだまだ、みんなが教育熱心というわけではないし、毎日休まずに登校することが難しい環境の子どももたくさんいます。それでも食べ物を提供しなくても、みんな、放課後の青空教室に自然と集まって、熱心に勉強するようになりました。そんなお兄さん、お姉さんを見てまだ字も書けないような幼い子供が、紙に何やら書いていたりします。私たちは子どもがひもじい思いをしたり、日々の生活で苦しんだりすることがないように、子どもは子どもらしく生活することを望んでいます。
この10年でずいぶん子どもたちの暮らしや親の意識は変わってきました。何よりも、学校に行かなかったママたちの中に、子どもたちの世代に、その日暮らしの生活から脱却できるようにするには教育が必要だという意識が高まってきました。あの「先生キライ」と言って簡単に中退していた子どもたちがずいぶん成長しました。次の10年間では、多くの奨学生が高校を卒業していきます。いつの日か、外国からの支援に頼らずに、フィリピン人が貧困に苦しんでいるフィリピン人を支えるシステムの土台を築いていく10年にしたいと願っています。
そして、いつの日かわかりませんが、サントニーニョ教会周辺のみんなが支援を受けなくても3度の食事をし、学校に行き、子どもが子どもらしい生活ができる日が来ることが、私たちのゴールです。
私たちは教育の機会を与えますが、子どもたちには与えられるだけでなく、それぞれの能力を発揮したり、年下の奨学生仲間の世話をしたりすることで、自分たちにもできることがあるということを知ってほしいと思っています。そして、今の小学生、幼稚園生が、もっと大きくなった時には、やはり同じように年下の子どもたちの面倒をみてくれるようになるのが目標です。
理事長 嶋村浩美
2018年4月7日にセブにて記念行事を行いました。多くのEMS会員のみなさまが日本から参加していただき本当に感謝しています。イベントの様子はFACEBOOKから御覧いただけます。10週年のビデオはこちらから。
私たちは、2008年9月に、前理事長(現副理事長)山岸の住む長野県でNPO法人として、登録しました。
今年、法人設立10周年を迎えます。2003年4月に、サントニーニョ教会前で、山岸が活動を始め、その後、偶然出った普通の駐在員妻3人が始めたささやかな活動が、今は会員数100名に迫るNPO法人として10周年をむかえることができるなど、当時は思いもよりませんでした。
活動開始当時は教会前で、物乞いをする幼児、少し大きくなるとろうそくを売らされる子どもが、そこここにいました。みんな、半裸だったり汚れた服を着ていました。親や祖父母も学校を出ずに同じようにして育ってきたために、私たちが学校に行くことの大切さや将来のことを考えて今何をしなければならないのかを話しても、今日の食べ物のために、物売りをさせることをやめませんでした。
当時は人を集めて何かしようと思えば、必ず食べ物を用意しなければ人が集まらないという状況でした。おなか一杯おいしいものを食べて、お風呂に入り、温かい布団で寝るという暮らしをなんの疑いもなく送ってきた私には、まだ幼稚園程度の年齢の子どもが自分の食べるものを自分で何とかしなければならないという状況は、あまりにも現実離れしていました。
何とか親を説得して、せっかく学校に入っても、「先生が意地悪だから、やめる」と簡単に中退してしまう子が後を絶ちませんでした。そして女の子たちは10代半ばで早々にママになっていきました。そんな中でもスポンサーさんや、現地スタッフ、日本人理事の温かい励ましやバイブルシェアリングのおかげで少しずつ将来のことのことを考え始める親子が出てきました。今、10代半ばでママになった子どもたちの子どもが、私たちの奨学生として学校に行っています。
ママたちは子どもに物乞いをさせることはありません。まだまだ、みんなが教育熱心というわけではないし、毎日休まずに登校することが難しい環境の子どももたくさんいます。それでも食べ物を提供しなくても、みんな、放課後の青空教室に自然と集まって、熱心に勉強するようになりました。そんなお兄さん、お姉さんを見てまだ字も書けないような幼い子供が、紙に何やら書いていたりします。私たちは子どもがひもじい思いをしたり、日々の生活で苦しんだりすることがないように、子どもは子どもらしく生活することを望んでいます。
この10年でずいぶん子どもたちの暮らしや親の意識は変わってきました。何よりも、学校に行かなかったママたちの中に、子どもたちの世代に、その日暮らしの生活から脱却できるようにするには教育が必要だという意識が高まってきました。あの「先生キライ」と言って簡単に中退していた子どもたちがずいぶん成長しました。次の10年間では、多くの奨学生が高校を卒業していきます。いつの日か、外国からの支援に頼らずに、フィリピン人が貧困に苦しんでいるフィリピン人を支えるシステムの土台を築いていく10年にしたいと願っています。
そして、いつの日かわかりませんが、サントニーニョ教会周辺のみんなが支援を受けなくても3度の食事をし、学校に行き、子どもが子どもらしい生活ができる日が来ることが、私たちのゴールです。
私たちは教育の機会を与えますが、子どもたちには与えられるだけでなく、それぞれの能力を発揮したり、年下の奨学生仲間の世話をしたりすることで、自分たちにもできることがあるということを知ってほしいと思っています。そして、今の小学生、幼稚園生が、もっと大きくなった時には、やはり同じように年下の子どもたちの面倒をみてくれるようになるのが目標です。
理事長 嶋村浩美